「何を騒いでいるんだ?」
頭上から聞こえる母の声に、隆一は顔をしかめていた。
その後ろにいた奈保子がクスクスと笑っていた。
荷物を下ろした彼らは、ベンチを出ると円陣を組んだ。
「よし!
まずは初戦を勝ち抜いて、勢いをつけるぞ!!」
『オーッ!!』
主将の生徒が声を上げると、隆一を含めた生徒たちが声を上げた。
それを聞いていた隆と楓子は、懐かしそうに見ていた。
「・・・懐かしいね」
「ああ。
楓子と出会った部室を思い出すよ」
「もう・・・変な事を思い出さないでよ」
夫の言葉に、困った表情をする楓子。
だが、自分のドジのお陰で出会う事が出来た。
練習を通じて信頼関係が生まれ、ついには付き合う事になった。
「さて、楓子コーチ。
今日の試合は、どう見ていますか?」
記者のように質問する隆。
その質問に対して、彼女はこう答えた。
「相手の投手によると思うけど・・・。
ホームランは1本出ると思うな」
「ほう・・・」
「もちろん、私たちの子供の・・・だけどね」
「エヘヘ」と笑顔を作る彼女に、隆は目を閉じて笑っていた。
それを見ていた沙希と一緒に来ていた記者たちは、肩をすくませながらため息をついた。
「もう・・・なんだかんだ言って、親バカじゃない。
試合は最後まで分からないでしょ」
そう答える沙希に、楓子は舌を出して笑っていた。
「だけど、楓子の言う通りだよ」
『え?』
隆の言葉に、三人は声を揃えた。
「間違いなく1本は出る。
あいつは、自分の出る試合は必ずホームランを打つのさ」
自信があるのか、隆はキャッチボールをしている息子の姿を見た。
隆一は自分たちが心配していた緊張した様子はなかった。
いつもと同じで、リラックスした様子で仲間とキャッチボールをしていた。
第35話「打倒への一本」
「よし、いくぞ!」
『応!』
キャプテンの声に、俺たちは声を揃えた。
まずは相手の攻撃だ。
今日の俺のポジションはセンターだ。
真夏の日差しが背中に刺さる。
「ま、父さんとの修行で慣れているからな」
そう呟きながら、ベンチの方を見る。
監督の隣で、奈保子がスコアボードを持っている。
今日の試合の記録を取るためだ。
これは、母さんが奈保子に言ったようだ。
「奈保子ちゃん、試合の記録をちゃんとメモしてね」
「え?
あ、はい・・・いつもやっている事なので・・・・・・」
「特に隆一の記録はしっかりね」
「へ?
なんで俺の記録だけ、しっかりなの?」
「だって、甲子園に出るという事はスカウトの目に留まるという事だよ。
プロになるためには、試合の記録を見て悪い所は直さなくちゃ!」
母さんの張り切っている声が頭に響く。
俺、プロになるつもりはないのだけれど・・・・・・。
カキーン!!
バットの当たる音が聞こえると同時に、意識が現実に戻された。
顔を上げると、ライトの方向にボールは飛んでいた。
「おい!そっち行ったぞ!!」
声をかけると、ライトにいた男子生徒が顔を上げた。
「わかっているさ」
そう返事をすると、落ちてきたボールを難なく取った。
これで、1アウトだ。
「これでエラーをしたら、後が怖いだろ。
お前の母さん、試合を見に来ているだろ?」
「ああ、全試合見に来るみたいだぜ」
「うへ・・・負けたら、地獄の特訓が待ってそう・・・・・・」
「そうならないように、試合に勝たないとな」
ボールを内野に向かって投げながら、そいつは顔を引きつらせていた。
・・・母さんならやりかねないよな。
そんなことを心配しながら、いつの間にか相手の攻撃が終わった。
どうやら投手が頑張ってくれたようだ。
次はこちら側の攻撃だ。
1番2番の選手が打ち返したものの、内野フライに打ち取られてしまった。
いくら母さんのアドバイスを受けたとはいえ、こればかりは経験がものをいう。
ベンチから出ると、母さんは真剣な表情で試合を見ていた。
「臨時とはいえ、自分が関わったチームだからかな。
心配なのは仕方がないか」
微笑みながら言うと、金属音が鳴り響く。
『ワァーッ!』
歓声が上がると、先ほどの選手が一塁を蹴って二塁に向かう。
ライト前ヒットで、俺たちにチャンスが訪れた。
さて、俺への指示は・・・。
監督に視線を向ける。
「・・・・・・・・・」
監督は手を動かしながら、俺に何かを伝えてくる。
『お前の好きにしろ』
なるほど、一打席目は相手の様子を見るよりもできるだけ点差をつける作戦か。
それじゃ、行ってきますかね。
バットを握りしめながら、バッターボックスに向かって歩き出す。
「あ、隆一君だよ」
沙希が声を上げると、バッターボックスに隆一が向かって歩いている。
息子の後ろ姿を見た楓子は、高校生の頃の夫の姿を重ねた。
「・・・・・・・・・」
打席に向かう息子の後ろ姿は、戦いに向かう夫である隆と全く同じだった。
「隆一の背中は、俺と一緒だったかな?」
「え?」
慌てて声を上げると、彼が微笑んでいた。
その目は、なんでもお見通しと言いたげだった。
それを聞いていた沙希はクスクスと笑っていた。
「な、なんで!?」
顔を真っ赤にしながら声を上げる楓子。
その様子を見て、肩をすくませる隆。
「楓子さんの目、あの頃と一緒だよ。
自分を守って戦ってくれる西川君の背中を見る目だもの」
「えぇっ!?」
沙希の言葉に、驚きの声を上げる。
そんな彼女の肩に隆は優しく手を置いた。
「ほら、俺たちの息子の打席だ。
楓子が育てた打者の活躍を見ようぜ」
楽しそうに言う夫に、楓子は何も反論できなかった。
むしろ息子の試合で、自分の醜態を晒したくないという考えなのだろう。
一方、打席に立った隆一はバットを持ち身構えた。
彼の姿を見た相手ピッチャーは、少し動揺する表情を浮かべた。
剣の修行で構えているだけで、プレッシャーを与えてくる父の姿を思い出した。
それを野球でできないかと考え、実際に使ってみたのだ。
「くっ!」
ピッチャーは何とかプレッシャーを跳ねのけようと、歯を食いしばりながら投げた。
だが、投球に動揺が伝わっていたのか曲がるはずの変化球がただのストレートになっていた。
そんな球を隆一が見逃すはずがなかった。
「はっ!」
気合を発しながら、思いっきりスイングをする。
カキーン!
手応えを感じると共に、心地よい快音が球場内に響く。
隆一の放った打球は、空を大きく飛んだ。
彼の打球を相手チームの外野手が走って後ろに下がる。
だが、風に乗ったのか打球はそのままスタンドに入っていった。
『ワァーッ!!』
歓声と共にひびきの高校サイドで太鼓が激しく鳴る。
それを聞きながら、塁を一周する隆一。
その姿を見た奈保子は、微笑みながら記録を付けていった。
「嬉しそうだな。神矢」
「え?」
監督に声を掛けられ、弾かれたように顔を上げる。
どうやら、顔に出ていたようだ。
「幼馴染みの活躍している姿を見て誇りに感じている・・・所か?」
そう尋ねると、彼女は三塁を回った隆一を見た。
その表情は、少年野球をやっていた頃と変わらない笑顔だった。
「はい。
彼は、楽しいと思ったものはとことん楽しみます。
そんな姿を見ていると、私まで楽しくなるのです」
そう答えると、隆一がホームベースを踏んで二塁にいた選手とハイタッチを行った。
ひびきの高校が先制点を奪うと、応援席が一気に沸いた。
「よし!
先手はこちらが奪った!
西川に続いて、どんどん行け!!」
監督がそう叫ぶと、5番の打者が打席に立った。
「隆一君、いきなりホームランだなんてすごいね」
「相手が失投したからね。
あれを逃したら、母さんに何を言われるか・・・」
凡打を打ったところを見られたら、大勢の前で説教をやりかねないだろう。
想像しただけで、頭が痛くなるかもしれない。
「奈保子、相手のピッチャーの球種はわかったか?」
「うん。
前の三人が、粘ってくれたおかげでなんとかわかったよ」
スコアボードを叩きながら、笑顔で答える。
母である沙希から、マネージャーの仕事は記録係や世話係だけではないと教わった。
相手のチームの戦力の情報収集もマネージャーの仕事の一つと言われた。
そこで、隆一の母である楓子にやり方を教わったのだ。
「あの先発のピッチャー、5回までがいい所だな。
今の一発で、少し動揺がある」
監督の言葉の通り、次の打者がヒットを打った。
どんなに調子がいい選手でも、リズムが崩れれば立て直しに時間がかかる。
ましてや投手は、自信がある変化球を打たれてしまうと絶望感が大きい。
相手に隙を突かれる事になる。
「バッターアウト!
チェンジ!!」
6人目の打者で、ひびきの高校の攻撃が終わった。
隆一のホームランで、2点を先制した。
守備位置に着く前に、先発の投手に声をかけた。
「打たれても気にするな。
バックにいる俺たちに任せておけ」
「ああ」
彼が返事をすると、隆一は走って守備位置に向かった。
紅白戦が終わった際に、楓子が投手陣に教えた事があった。
「いい?
確かにピッチャーが相手打者を抑えることも大事だよ。
でも、野球は9人でやるの・・・キャッチャーだけじゃなく後ろにいる仲間を信じて」
彼女の言葉を思い出した彼は、静かに呼吸を整えた。
そして、キャッチャーのサインを見て投球を開始した。
カキーン!!
「なっ!?」
バンッ!
快音を発したと同時に、慌てて打球の行方を見る。
ショートの選手が飛びついたのか、ミットの中にボールが収まる。
そのファインプレーに会場が再び沸き上がった。
その後、隆一の目の覚める本塁打とファインプレーが火付けになったのだろうか。
「9−2」という結果に初戦は勝利した。
「打倒・大門高校」に一歩進んだことになった。